アルベール・ビショー社は、
『IWCワインメーカー・オブ・ザ・イヤー』
赤白ワインダブル受賞のワイナリーです。
■2004年レッド・ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー受賞■
■2011年ホワイト・ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー受賞■
アラン・セルヴォー氏がビショー社で品質改良を始めたのが1995年。
ブドウと土地の潜在能力を高める為、収量を抑え、有機的、減農薬アプローチを目指しました。
その結果2004年9月、世界中から9000以上のワインがエントリーされる
「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」において、アラン・セルヴォー氏が「レッド・ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー2004」に輝き、その実力は世界に広く認められました。
■「ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」を赤・白ともに受賞した
アラン・セルヴォー氏■
アラン・セルヴォー氏がビショー社で品質改良を始めたのが1995年。
ブドウと土地の潜在能力を高める為、収量を抑え、有機的、減農薬アプローチを目指しました。
その結果2004年9月、世界中から9000以上のワインがエントリーされる
「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」において、アラン・セルヴォー氏が「レッド・ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー2004」に輝き、その実力は世界に広く認められました。
『トロフィー・リヨン・ボージョレ・ヌーヴォー』(2010年)で大金賞に輝くビショーのヌーヴォー!
2010年11月にフランス・リヨンで開催された、ボージョレ・ヌーヴォー唯一の公式コンクール、第10回『トロフィー・リヨン・ボージョレ・ヌーヴォー』。数百アイテムにも及ぶボージョレ・ヌーヴォー、ボージョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォーをワイン専門家や醸造家が審査するコンクールで、『ボージョレ・ヌーヴォー2010』はボージョレ・ヌーヴォーカテゴリーの最高賞である『Grande Medaille dOr(大金賞)』を受賞しました。
歴史-History-
■180年以上もの歴史を持つブルゴーニュの名門■
1831年の設立以来、6代に渡って伝統を受け継いできたビショー社。
現在自社畑はブルゴーニュに105haを所有、これに85の農家と160ha分の長期栽培契約を結び、ブルゴーニュのグラン・クリュ(特級格付け)から村名格付けのワインまでを醸造するに至っています。減農薬、有機栽培を推し進め、栽培農家を「パートナー」と呼び、鋤き入れや施肥の指導を続けてきました。成果は1999年ヴィンテージが発売される頃から出始め、ドメーヌ(自社畑)ものだけでなく、契約ブドウ畑から造られたワインが英国のワイン誌などで、高い評価を得るようになりました。
ドメーヌ・ロン・デパキについて
■シャブリの礎、1128年からブドウ畑とセラーを所有していたポンティニー修道院の流れを汲むドメーヌ・ロン・デパキ
中世のシャブリにおけるブドウ栽培とワイン造りは、トゥール出身の修道僧、サン・マルタン率いるオーセール修道院と、シトー派のポンティニー修道院の活動によって発展したといわれています。
■クラン・クリュ「ラ・ムトンヌ」に端を発する、シャブリ地区における揺るぎない名声
フランス大革命の時代、現在のドメーヌ・ロン・デパキの源であるポンティニー修道院は、ジャン・デパキが院長を、そしてその弟であるシモン・デパキが管財人を務めていました。革命の後、1790年に二人は僧籍を離れ、翌年、シャブリに隠遁したシモン・デパキは、国有財産の競売会で「ヴォーデジールのムトンヌ」と呼ばれていた、とびきり評判の良い畑を購入します。これが現在の「ラ・ムトンヌ」。ドメーヌ・ロン・デパキが世に誇る至宝の畑です。
シモンの家系が途絶えると、従兄弟のフランソワ・オーギュスト・ロンが養子に迎えられてその跡を継ぎ、ここにロン・デパキ家の時代が始まります。フランソワの息子、ルイ・ロン・デパキが、医者を兼業しながらドメーヌの管理を始めたのは1910年のことです。。
1967年にルイ・ロン・デパキが死去した後、ドメーヌ・ロン・デパキの名声をさらに高めたのはブルゴーニュの名門ネゴシアン、アルベール・ビショー家です。同家によってロン・デパキのブドウ畑は拡大し、現在ではグラン・クリュ地区全体の約1割に当たる9ヘクタールと、16ヘクタールのプルミエ・クリュ、シャブリ全体では62ヘクタールに及ぶ畑を管理・運営するに至っています。また、シャトーの改修や近代的な醸造施設の整備、ブドウ畑の拡張なども精力的に進めたアルベール・ビショー家は、シャブリ地区を代表する名門ワイナリーとしてのドメーヌ・ロン・デパキの名声を揺るぎないものとしました。
■シャブリ―――世界中で愛されるフランス白ワイン■
シャブリといえば、「生牡蠣とシャブリ」の組み合わせでも有名な、世界中の人々から愛される最もポピュラーな高級白ワイン銘柄のひとつ。
ドメーヌ・ロン・デパキは、そのブルゴーニュ最北のワイン産地であるシャブリの中でも、クリュ・シャブリを代表する造り手です。
■シャブリ最高グラン・クリュの畑「ラ・ムトンヌ」■
ドメーヌ・ロン・デパキは、中世よりシャブリのブドウ栽培を発展させた修道院の流れをくむ、シャブリきっての名門ワイナリーです。
シャブリは通常のシャブリと周辺地区のプチ・シャブリの上位にプルミエ・クリュ(1級畑)、そして最上のグラン・クリュ(特級畑)がありますが、ロン・デパキは数多いシャブリの造り手の中で最も多くグラン・クリュを所有している造り手です。1972年以降はブルゴーニュのネゴシアン、アルベール・ビショー家の傘下に入り、ブドウの栽培からワインの醸造まで、細部にまでこだわった伝統的なワイン造りが同社のマーケティング力と一体化したことで、近年ますますその評価は高まっています。
中でも特筆すべきなのは、ロン・デパキが占有しているシャブリ最高グラン・クリュの畑「ラ・ムトンヌ」。2.35ヘクタールの畑からわずか15,000本しか生産されないそのワインは、希少性の高いグラン・クリュとして評価を得ています。
ドメーヌ・デュ・クロ・フランタンについて
■ナポレオンが愛したワインとドメーヌ・デュ・クロ・フランタン
ブルゴーニュのブドウ畑とナポレオンとは、大変深い関わりがあります。
まず、ブルゴーニュの畑の区画が現在の形になったのは、ナポレオンの時代でした。フランス革命を経て貴族や寺院が所有していたブドウ畑が没収され、1804年に発布されたナポレオン法典によって、ブルゴーニュの畑の再整理が推進されたのです。
■ナポレオンと言えば、好んだワインとされるのが「シャンベルタン」
当時ナポレオンがよく飲んでいたとされるワインが、「ドメーヌ・デュ・クロ・フランタンのシャンベルタン」でした。
ナポレオン1世の第1将軍として、当時のクロ・フランタンの所有者だったルグラン将軍がいたことから、将軍を通じてクロ・フランタンのワインが皇帝のもとへ届けられていたと思われます。
このようにして、クロ・フランタンはナポレオン時代にその栄光が始まって、その品質はナポレオンの名と共にあっという間にヨーロッパ中に知れ渡ったと推察されます。
■ジュブレ・シャンベルタンとドメーヌ・デュ・クロ・フランタン■
現在のクロ・フランタンの屋敷は、ヴォーヌ・ロマネ村にあり、ジュブレ・シャンベルタン村を始め12の地区に畑を所有。その中に7つの特級畑と1つの1級畑が含まれています。 造っているワインは、それらの畑の名を冠したワインが中心です。
収穫はもちろん手摘み。ここでの発酵で今も使われている木製の開放桶(上部が密閉されていない)は、ブルゴーニュでさえ今は少なくなったものです。開放桶は、ワインを雑菌による品質変化から守るのが大変なのです。また、特級ワインの熟成用には、新樽100%を使用しています。
■歴史の番人、ウェア氏語る■
現在のドメーヌ・デュ・クロ・フランタンのオーナーは、ブルゴーニュワインの名門ネゴシアンである、アルベール・ビショー。 そしてビショー社がクロ・フランタンの醸造責任者として選んだのが、コリン・M・ウェア氏でした。
「『あのナポレオンが好んだシャンベルタン』という名声は唯一無二のもので、これを守っていくことはある意味で歴史的責任ですらあります。」
■世界に名だたる黄金の丘、コート・ドール地区■
コート・ドールとは「黄金の丘」という意味ですが、幾重にも連なる小さな丘と複雑に入り組んだ地層がまさにコート・ドールの特質でしょう。わずか数十メートルの違いで土地の傾斜や風の強さも変り、ミクロ・クリマ(微気候)と呼ばれる優良な気候条件もその地形と地層から生まれます。その中でクロ・フランタンが所有している畑は、合計12ケ所。ただし、12の畑すべてを合せても面積は僅かに15haです。これに含まれるクロ・フランタン所有の7つの特級畑と1つの1級畑は、まさに至宝の輝きです。
■コート・ドール地区■
北部のコート・ド・ニュイは、有名畑のほとんどが赤ワインの産地。そこにある畑は、ジュブレ・シャンベルタン村のシャンベルタンを始め、ヴージョ村のクロ・ド・ヴージョ、フラジェ・エシェゾー村のエシェゾー、グラン・エシェゾー、ヴォーヌ・ロマネ村のリシュブールといった、世界に名だたる赤ワインを産する畑です。
南部のコート・ド・ボーヌ地区では、素晴らしい赤の他に、ブルゴーニュ最高峰の白を産します。クロ・フランタンと並びアルベール・ビショー社の所有するドメーヌ・デュ・パヴィヨンの特級畑、アロース・コルトン村のコルトンと、コルトン・シャルルマーニュの白があります。
ドメーヌ・デュ・パヴィヨンについて
■ポマール最大の級の地下セラーを所有するドメーヌ・デュ・パヴィヨン
800樽の貯蔵ができ100年の歴史を誇る、ポマール最大級の地下セラーを所有していることで有名なドメーヌ・デュ・パヴィヨン。アルベール・ビショーが所有する1933年以前はヴェルニェット・ド・ラモット家が所有していました。
■コート・ド・ボーヌ地区に43エーカーのブドウ栽培面積を所有■
1994年からボーヌの畑『レ・ゼプノ』、コルトンのグラン・クリュ(特級畑)『クロ・デ・マレショード』、ランゲットの森のすぐ下のグラン・クリュ(特級畑)『コルトン・シャルルマーニュ』など優良なブドウ畑を次々に所有しており、ボーヌに20エーカーの白ワインの畑を含む、43エーカーのブドウ栽培面積を所有しています。
■コート・ド・ボーヌ地区とパヴィヨン■
ブルゴーニュ地方の「黄金の丘」と呼ばれるコート・ドール地方の南部に位置する、コート・ド・ボーヌ地方のドメーヌ・デュ・パヴィヨンは、ポマール細大級の地下セラーを所有していることで有名で、1933年にアルベール・ビショーの所有となりました。
ブルゴーニュ地方とアルベール・ビショー
■ボルドーと並ぶフランスの主要ワイン産地、ブルゴーニュ地方■
アルベール・ビショー社は設立以来、6世代にわたって優れた伝統を受け継いできたファミリー企業です。1912年以降は、「美食の都」と称されワイン流通の起点となっているブルゴーニュのコート・ド・ボーヌ地区ボーヌ市に、同社の本拠地を置いています。